こんにちは、只野貭幹(@motomiki_lab)です。
本当に人生は何が起こるか分からないですね。
それは様々な出会いがあるからでしょうか。
私はあるダウン症の女の子との出会いから、たくさんの事を教わりました。
そのエピソードを振り返り、備忘録として書いていきます。
ダウン症の女の子との出会いが私の人生を変えてくれました💡私が心の奥底に抱いていた「もしかしたらこうなんじゃないかな」という考えをその女の子が私に示してくれました 😄そのことに感謝しつつ私がこの子に何ができるかなと考えています。そう明るい社会を築いてあげたいのです👨👩👧👦 pic.twitter.com/rBxFC3zcvT
— 只野 貭幹@福祉×プログラマー (@motomiki_lab) 2019年6月15日
すべての子どもたちには様々な《体験》ができる居場所が大切です。発達障害だから《できない》と勝手に大人が決めるのは好ましくない。失敗してもいいじゃないか。きっとその場にいるお友だちが助けてくれるでしょう。
教育よりも《学び》が重要。普通の子も発達障害の子も一緒にひとつの居場所で過ごす方が、大人が想像できないような学びを得られるでしょう。「これはダメ」「あれもダメ」ではつまらない。自由に子どもが《選択》できれば、自然と自分たちで考えて行動するようになるでしょう。
私はそのように考えています。
私に気付きをを与えてくれて、人生を変えてくれたこの話の要約を3つにまとめると以下になります。
- なぜ発達障害の子どもを支援する仕事を選んだのか?
- 発達障害に関わる仕事を通じて生き方が変わった
- 生き方や仕事、発達障害の子どもたちに今想うことは
なぜ発達障害の子どもを支援する仕事を選んだのか?
私は2015年10月から「ダイコンこども食堂」と言う、《楽しい共食から広がるみんなの居場所づくり》のボランティア活動を始めました。きっかけは飽食の時代と言われているこの日本にも、《食べ物に困っている子ども》がいることを知ったからです。
当時、子供の貧困率は6人に1人と言われていました。個人で飲食店を営んでいた私は、地域活動に関心がありました。「これなら私にもできる活動だ!」と思い、すぐに活動を始める準備に取りかかりました。
発達障害との出会い
このダイコンこども食堂の活動で、《発達障害の子ども》に出会ったのです。それは私にとって初めての体験でした。
今では発達障害と言われている子どもが増えていること。学校では《通常の学級、通級指導教室、特別支援学級、特別支援学校》と4種類に分けられていること。恥ずかしながら私はこの時に初めて知りました。
まさか放課後デイサービスで発達障害の子どもたちを支援する仕事をするとは、この時は想像すらしていませんでしたよね。
《障害》と言っても外見では分かりません。子どもと触れ合っていても分からない。私には分かりませんでした。あとでお母さんに「じつは〜」とお話を聞いて、「そうだったんですね!」といった具合です。
それから2年後のある時に、プライベートで大きな決断をしなければなりませんでした。そして《子どもに関わる仕事》を選びました。
子どもと関わる仕事を選んだ
飲食業界で働いていたのは、高校生の時にファミリーレストランでアルバイトをしていた事がきっかけでした。就職をして「いつか自分のお店を持つぞ!」を目標にしていました。
なんだかんだで30代で目標を実現できた。幸せなことです。「とりあえず目標にしていたお店を持てたし」と、「新しい目標として何かに挑戦したいな」という考えがありました。
ダイコンこども食堂のボランティアを通じて、《子どもを取り巻く問題》を知ることになりました。子どもの貧困、虐待、いじめ、育児放棄、不登校、放課後の過ごし方などじつに様々です。もう私の関心事は子ども達になっていました。
発達障害に関わる仕事を通じて生き方が変わった

40代はそして残りの人生は、子どもを取り巻く問題に取り組むことに人生の価値を見出しました。だからお店を閉めて、福祉業界への転職を決意したのです。
さて私は障害児支援の福祉施設、放課後等デイサービスに就職しました。学校が終わった放課後に、発達障害の子どもたちが過ごす療育支援施設です。私は指導員として療育活動のプログラムを考えて、子どもたちに指導する立場で関わっています。
《発達障害》と言ってもひと括りで表現するのは難しい。自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、限局性学習症(SLD)がありますが、これらは重なり合っていてつながっています。つまり子ども一人ひとり違うのです。「発達障害の子どもはこうだ」とは言い難い。
さらに私が勤めている教室ではダウン症の子どももいました。小学1年生の小さな女の子。そうこの出会いが私の人生に大きな影響を与えてくれました。
生き方を見つけるための2年間
飲食業界から来た私は「2年間は勉強の期間としよう」と決めました。休日返上で研修やセミナーなどに参加して、いろいろな人に会い話を聞いて自分の知見を広げる努力をしました。
そして私はふたつの疑問を抱くようになりました。「療育とは何か」と「放課後等デイサービスで支援できることは何か」です。この答えになかなかたどり着けず、かなり長い時間をモヤモヤして過ごしていました。
ダウン症の女の子が教えてくれた
そんなある時、送迎中にこんなエピソードがありました。
その女の子は特別支援学校に通っています。通常学級に進学していたら○△□小学校でした。その○△□小学校へ別の児童のお迎えで一緒に行ったことがあります。
そこで一緒の保育園に通っていたお友だちに会ったのです。その女の子は「やだ」と聞き取れる程度の発語しかありません。「〇〇ちゃんだ〜!」とお友だちが駆け寄って来ました。
私とその女の子の会話を聞いていたようで、「〇〇ちゃん話せるようになったんだね!」と驚いている様子でした。そしてふたりは普通に会話を始めました。私にはそう見えた。しっかりと意思の疎通ができている。女の子同士のおしゃべり、とても楽しそうでした。
「〇〇ちゃんを知ってるんだね?」と尋ねると、「うん、保育園で一緒だったんだ!」と教えてくれました。そんなふたりの様子を見ていて、心の中である感情が湧き上がって来ていることに気付きました。
別の日にも同じような体験があります。帰りの送迎で、その女の子の自宅まで送りました。マンション前でお母さんに受け渡しをしている時、また「〇〇ちゃんだ〜!」と声を掛けられたのです。どうやらダウン症の女の子は近所でも人気者のようですね。
《障害児》や《健常児》の区別なく誰もが過ごせる居場所が良いのではないかと。少なくとも私はそのことに魅了されている。そして、その考えが正しいのではないかとも思いました。それほどに目の前の光景に見入ってしまったのです。
子どもが見ている世界は?
この社会には《いじめ問題》があります。発語のないダウン症の子どもは、大人の価値観では「学校でいじめられないかな?」と心配する気持ちも芽生えるでしょう。
だけど子どもたちはそんなことを思わない。考えもしないのでしょう。それは多分、大人の価値観を《真似》しているから。
例えばお母さんが発達に障害のある子どもに対して、何かしらのネガティブな言葉を投げかけた。それを子どもが聞いて影響を受けてしまった。学校の先生も影響力があるでしょう。
つまり、そもそも子どもには差別の考えは存在しない。それは大人から伝わる悲しい考え方だと、私はそんな風に捉えています。
生き方や仕事、発達障害の子どもたちに今想うことは

私は飲食業から障害福祉サービス事業の《放課後等デイサービス》に転職しました。2年間毎日子どもたちと放課後を一緒に過ごす中で、「この子たちにとって、どんな居場所がいいのだろうか?」と考え続けてきた。
理想と違和感の間で
私は発達障害児だけが通って来るその空間に、とても居心地の悪さを感じていました。
子どもたち同士で過ごす時間の方が、多くの学びがあると確信しています。障害があるなしに関係なく、異年齢での交流機会です。
どうしても大人は教えたがる。私は《教育》よりも《学び》こそが大切であると考えています。
実際の教室内では「これはダメ」「あれもダメ」と言った、子どもを抑圧する言葉が飛び交います。自分の価値観を押し付ける。「子どもはこうあるべきだ」と。それがまた悪気があるわけではないのでややこしい。だから指摘するにも、角が立たないように遠回しに言わざるを得ない。だからなかなかお互い理解できずにモヤモヤする。
それで退職する人が大勢いる、放課後等デイサービスの現状です。
居場所が限られている子どもたち
発達障害の子どもたちが放課後を過ごす場所は、「自宅」か「障害児支援施設(放課後等デイサービスなど)」しかありません。すごく限られています。友だちの家、公園、児童館、駄菓子屋などに行くことはないでしょう。ましてや子どもたちだけで過ごすことは無理があります。
だからもっと放課後を過ごせる居場所を作ってあげたい。いろいろな体験ができる場所。誰でも安心して通える場所を。
そう私の人生に大きな影響を与えてくれた恩人、ダウン症の小さな女の子が喜んでくれたら嬉しい。
それを仕事を通じて実現させたい。そんなことを思っています。
ダウン症の女の子との出会いが私の人生を変えてくれました💡
私が心の奥底に抱いていた「もしかしたらこうなんじゃないかな」という考えをその女の子が私に示してくれました 😄
そのことに感謝しつつ私がこの子に何ができるかなと考えています。
そう明るい社会を築いてあげたいのです👨👩👧👦